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2017-03

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奥付 - 2016.09.04 Sun

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エピローグ - 2015.09.07 Mon


1992年ヴェニス(イタリア)

そろそろ日も傾いて、空気もひんやりとし始めた頃、
少し離れて運河の側道を歩く母と子が。
女の子がせがんだのでしょう、
母親は彼女を手すりの上に乗せて歩かせていました。
でもしっかりと手を繋いで。
女の子の頭には愛らしい魔法の世界が広がっていたことでしょう。

二人の行く手には、きっと暖かい部屋と、マンマの味は世界一、
コトコト小さな音を立てるスープ鍋からはふわふわとあがる湯気。
世界のどんなところにも、人々の笑いあり、涙あり、
時にはいがみ合いながら、綿々と紡ぎ続けて来たそれぞれの営みが。

そんな二人を壁の前で見送る猫君。そして私。
猫も私も、共に暖かい部屋とスープには縁の薄いもの同士、
つい猫君に自分の気持が重なります。

撮ると言う行為は、ある意味傍観者である必要が。
全体像を捉えるためにはカメラも「引き」を必要とするように。
半面、そのことに固執し過ぎれば、人並の生活も犠牲となりがち。

暖かい部屋とスープ、空腹と自由、
人として、写真を志すものとして、
どちらの組み合わせを選ぶのか、選ぶべきか、
私の気持ちは未だに揺れ動いています。
揺らいだまま、この旅も既に終わろうとしています。

本日ブログを閉じるにあたり、皆様に心からのお礼を。
このブログも日々更新を続け、ちょうど一年となりました。
撮る事に携わる一人として、長年の一番の課題は、
実は撮ることそのものではなく、
どうやってその結果を人様に伝えていくか、と言う問題でした。

先に書きましたように、写真を「言葉」として捉えるなら、
まずは伝えるべき相手がいて、次にどのような手段を選ぶべきか、
を考える必要があります。
個展、出版など、従来の方法以外にもどのような形があり得るのか?
そんな想いから試験的にこのブログを立ち上げてみることに。

その意図から、とにかく一年は続けてみようとのスタートでしたが、
ひとまず、本日でその一年、一区切りとしました。
このまま走り続けるより、ひとまず立ち止まり、
このような形が有効だったのか、今後に向けて検証をすべき、と。

この一年間、ほんとうに多くの方たちに訪れて頂き、
暖かい拍手やコメントに、日々、励まされて来ました。
本日ひとまず筆を置きますが、またいつか、どのような形であれ、
再びお目見えできます日を、切に願っています。

文末となりましたが、
皆様のご健康、ご発展を心よりお祈りしています。
一年間有り難うございました。心から感謝です。
合掌。

心で繋ぐ言葉 - 2015.09.06 Sun


1990年ヴェニス(イタリア)

一人の写真家が一生のうちにどれだけの作品を残せるのか、
それは一人一人、それぞれの環境により異なるのでしょう。
私はと言えば、生業とした広告写真を除けば
自分自身の作品となるとほんとうに寡作な部類だと思っています。

ヨーロッパにおいて1980年よりあしかけ二十二年、
黙々と作品を撮り続けてきましたが、
どれだけ自分自身が納得出来る写真を撮れたかと振り返れば、
その数はほんとうに一握り、
さらに厳選すればたったの数枚に集約できます。

むろんそれはあくまで撮る側の主観の問題であり、
その背景にあったドラマであったり、
その作品を通してつながれた
多くの縁であったりは観る人にとっては無関係、
純粋に私と、正確に感動を共有できるのかは不可能に近い気がします。
言葉や文章と違って、それが写真の持つ力の限界でしょうか?

今日の写真は私にとってかけがえのない一枚です。
このブログを明日で閉じるにあたり、掲載をしてみました。
私にとっての二十二年を、
一枚に凝縮したものと言っても過言ではありません。

この猫の名前はYOGHI(ヨギ)、
ヴェニスのガラス・アーティスト、
ZORA(ゾラ)さんの今は亡き愛猫。
むろん1990年に撮影したときはそんなことはつゆ知らず。
ヴェニスでの出会いの一つでしかありませんでした。

2002年、日本での生活が一段落したとき、まず思ったのは、
生前にもう一度、このヴェニスをしっかりと目に焼き付けておきたい、
と言う熱い想い。

ミラノ経由ヴェニス行きのチケットを手にしたまさにその夜、
そのヴェニスから突然の国際電話が。
どれだけその共時性に驚いたことか。

電話の主はこの猫の飼い主、ゾラさんから。
そこに至るまでは長い長い伏線があるのですが、
とてもとてもここには書ききれません。

電話から半月後、初めてゾラさんとお会いし、彼女の涙を見たとき、
猫がつなぐ縁の不思議をしみじみと思いました。
私の愛猫マリも、彼女の愛猫ヨギも、
同じ1996年に他界していたこともその時初めて知りました。
二匹の猫が、私たちを引き寄せたのだ、と彼女は語りました。
その想いが彼女の涙に。

一枚の写真の陰には多くのドラマが秘められています。
そのドラマ無くして、写真は人を感動させることが出来るでしょうか?
背景は知らされずとも、作品に力さえあれば、
あふれ出る物語は必ずあるはず。
具体的な言葉では無くとも、伝わるものはきっとあるはず。

今日の一枚をご覧頂いて、
それぞれにどう思われたのか、私には知る由もありませんが、
もし仮にこの一枚から何かを感じ取って頂いたなら、
間違い無くその方とは何処かで心が繋がったのかも。
それが写真の持つ真の力なのかも知れません。

言葉を越えたもの、それは猫と人との関係にも言えることでしょう。
写真とは言葉、心で繋ぐ言葉、私はそう信じています。

仮住まい - 2015.09.05 Sat


1993年ヴェニス(イタリア)

本島に網の目のように広がる運河には、多くの船が係留されています。
ゴンドラや水上タクシーなどは表舞台に、
作業船や運搬船は仕事を終えてひっそりと裏舞台。
しょっちゅう使われるものならともかく、
しばらく係留したままの船は覆いがかけられていました。

そんな船は猫たちの格好の仮住まい。
雨も防げて外敵にも有効、暖かい日はデッキで昼寝も。

でも今日は少し日も陰って、うたた寝をするには少し寒いかな?
何か思案中の猫君です。

路地の奥 - 2015.09.04 Fri


1993年ヴェニス(イタリア)

ヴェニス本島の入り組んだ中心部、暗くてひんやりとした路地の奥。
過去からの魂がひしめき合い、まるで冷たい石の一つ一つが、
それぞれの魂の墓標の様にも思えて。

ブルーな気持に重なって、
どこか身を任せて流れて行けそうな安堵感も。
トーマス・マン著「ヴェニスに死す」の主人公、アッシェンバハが
少年の美と、遥か遠くからゆっくりと歩み来る死を重ねるかのように。

そんな場所にひょっこり顔を出す猫たち。
周りとのコントラストに、
冷え切った心にふわりと暖かいものが届く瞬間。
魂の一つが猫に姿を変え、忘れないで、と目で訴えて来ます。
生きてるんだよ、まだこうして、と耳元でも囁く声も。

ミステリアスな島、恋い焦がれる島、
そして多くの芸術家たちをも虜にした島、
私もいつか旅立つ時は、その魂たちと一つに解け合えれば、と。
むろんこれもまた、私の叶わぬ片思いかも。

手を振る - 2015.09.03 Thu


1993年ヴェニス(イタリア)

約一ヶ月のヴェニス滞在もそろそろ終わりが近づいた頃、
当時はむろん銀塩時代、撮り貯めたフィルムは増えても、
具体的にどんな絵が撮れているのか帰国後まで分かりません。
日々の取材と言葉の壁に何度も歯がゆい想いをし、
そろそろ日も傾いて、疲れて運河沿いの路地を歩いていると黒猫君。

私を見て逃げるわけでもなく、どうしたの?と包み込むような優しさ。
おっとりした姿に何枚かシャッターを押させてもらいました。

と、不意に何処かで声。
猫君はぴくりと耳を動かし、立ち上がって走り去りました。
行く手の方向にある建物の最上階に人影が。
初老の男性が一人、こちらに手を振っていました。

それが私に向かって振られている事に気が付くと、
あ、黒猫君は彼の猫だったのか、と。
こちらも手を振り返すと、男性はいったん窓から引っ込み、
今度は彼の母親らしき老婦人と一緒に顔を出し、
また手を振ってくれました。

一匹の猫を通して、人は言葉を越えて心を一つに出来る、
ヨーロッパを歩いて来て感じてきたことが改めて胸に。
旅の終わりにまた一つ想い出ができました。

運河を眺めて - 2015.09.02 Wed


2002年ヴェニス(イタリア)

ヴェニスの運河で魚が泳いでいるのは見た事がありません。
海の水ですから水の中にはいるのかも知れませんが、
なにせこの透明度、澄んでいるとはお世辞にも言えませんよね。

運河に落ちる猫の話は前に書きましたが、
運河に落ちる人間はどうなんでしょうね?
映画「旅情」で
キャサリン・ヘップバーンが運河に落ちるシーンは有名ですが、
水を見る限り、演技とは言え彼女にはお気の毒、
としか言いようがありません。

それでも悪名高いアクア・アルタの時期なら、
道と運河の境目が分からず、踏み外して落ちる馬鹿な観光客も?
もっとも人は落ち無くても、ものを落とす人は結構聞いていて、
私の友人のご主人も、大切な交換レンズとボチャンと落とされたとか。

今日の猫君、じっと水面を見つめていましたが、
その先には魚でも泳いでいたのでしょうか?
一緒になって後ろから眺めていたのですが視線の先には何も無し。
ま、ここで落ちてもちゃんと階段があるから安心です。

看板猫 - 2015.09.01 Tue


2002年ヴェニス(イタリア)

観光客が良く通るメインの通りから少し脇道にそれた辺り、
時々こんな人形がいたりして、ちょっとビックリ。
人が入ってるんだろうか?単なるマネキンだろうか?
恐る恐る近づいて確認もしたくなります。

そう、これはお店の看板代わり。
この時はすでにカルネヴァーレも終わっていましたが、
年から年中、
カルネヴァーレの衣装やマスケラ(仮面)を売る店は各所にあります。
そんな店の客引きにはこんなマネキンがぴったり?
でも、人形とは分かっていてもちょっとドキッとしてしまいます。
急に動いたりしたら、悲鳴を残して一目散に逃げてしまうかも?

同じく足元にはこれまた立派な猫君。きっと看板猫でしょうね。
首には電話番号を書いた迷い子札、
お店の人にも可愛がられているのでしょう。
でも、人形よりむしろ、
猫好きな観光客ならこちらの方が客寄せにはなりますよね?

誰か帰ってこないかな - 2015.08.31 Mon


2002年ヴェニス(イタリア)

見上げれば立派な窓とテラス、
何処かの立派なお屋敷の裏手なのかな?と。

それでも窓に渡されている滑車を付けた二本のロープ、
これって洗濯ものを干すロープなら、普通の家族の暮らすお家?
そう言えば画面右下のドア横には
磨き上げられた真鍮の呼び鈴が数個取り付けてありました。
これだけの所帯がこの建物には住まわれていると言う事でしょうか?

一階はここもまた、アクア・アルタ(異常潮位)を考えてなのか、
生活の匂いはありません。使われてるとしても倉庫でしょうね。

その前の路地には、べったりと猫君が「落ちていました」。
人通りもないからくつろいでいたのでしょう。

私の存在に気が付いて座り直し、ちょっとポーズを取ってくれました。
首には丸い緑の迷い子札、この近所の飼い猫君でしょうね。
誰か帰ってきて、ドアを開けてくれるのを待ってるのかも。

ここもまたヴェニス - 2015.08.30 Sun


2002年ヴェニス(イタリア)

緑あふれる公園での猫君、
らしからぬ風景ですが、これもまたれっきとしたヴェニス。
本島の東に広がるエリアでの一枚。

虫と戯れる猫もいれば、木陰でうたた寝をする猫も。
草の間に抱き合ってうっとりと目を閉じる猫たちもいて、
ここの猫たちはのんびりできて良いな、と思う半面、
食事や住むところはどうしてるんだろう?との心配も。
ここもまた、ガッターラたちが巡回して来るのでしょうか?

ヴェニス本島、この小さな島にでも
都会と田舎が同居するのだな、そんな想いを抱いてしまいます。

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プロフィール

gatojiji

Author:gatojiji
初めまして、猫爺と申します。

あしかけ22年、
カメラ片手に
歩いて来たヨーロッパ、
そんな日々に
出会った数多くの猫たち。

一瞬の出会いが
永遠へと続くように、
彼らたちとの想い出を
ここに綴じることにしました。


全てに著作権が存在します。
転用転載等、ご遠慮下さい。

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